二人のじかん

chapter4 どんより雲の切れ間 前編

  「うわ、さむ」
外に出て、そう声を思わず出していた。
口から出て見える白い息にも寒さを感じる。
防寒着のポケットに入れたままの手袋をはめてから自転車のハンドルを持つ。
向かう先は学校。今日も練習日だった。
 晩御飯時に見た天気予報で、明日は冷え込むと言っていたのを思い出しながら自転車のペダルを漕いでいた。

 体が温まった頃、学校に到着し、自転車を停めてからクラブハウスの方へと向かおうとして、ふと足を止めた。時間はまだ大分ある。飲み物を買っていこうと思い立ち、自動販売機のある方向へと足を向けた。
何を飲もうか、と考えながら足を進めていく。
「あ、え、えーと、えと、笠井君!」
突然横方向から名前を呼ばれて、康平は心底驚いた。
びくっと体を反応させてから顔を向けた。
そこには、マフラーを首にぐるぐる巻きにして頬を赤くさせた和花が立っていた。
「……秋山さん、あー驚いた」
「一瞬名前が出てこなくて、思わず声を上げてしまって。えへ、ごめんごめん」
ニコニコと笑顔でそう言った和花に、康平は無意識に見つめていた。
「……今日って、部活?」
目の前に居る理由を確定する為にそう訊ねる。
「うん、自主活動。今日は寒いねぇ」
「うん。昨日の予報でこの冬一番の冷え込みって言っていたよ」
「へー、そうなんだ。昨日は見てないから知らなかった」
いまいち、会話の盛り上がりに欠ける二人。
康平は面白い話題が浮かぶわけでもない頭に、他人事のように呆れていた。

「あのねー、この間のお礼に、今日もし会えたら渡そうと思って持ってきたんだけど」
「……うん」
そう和花に話されて、心臓はどきっと飛び上がったのだが、顔は普段のまま。口から出てくる言葉も何の変哲も無いもの。
「クッキーなんだ。クッキー食べる?」
「うん、食べるよ」
「じゃあ良かった。あ、でも私が作ったんじゃ無くてお母さんが作ったのなんだけどね」
「……うん」
その念押しに微妙に複雑な気持ちになったが、見た目は至って康平は普通だった。
「私はこういうの苦手で。お母さんが作るやつはすんごく美味しいから。はい」
「あ、ありがと」
差し出されたそれを受け取り、お礼を言った。少し躊躇ったような顔をしながら。
その後すぐ和花の「じゃあねー」という言葉で別れて、自動販売機に向かう。

不思議な気持ちになった康平は、部室に入るまでなにやら不可解な表情を浮かべていた。
 カバンを床に置き、自分はベンチに座って、手のひらのクッキーを眺めた。
不意に思い出す瀧野の言葉。
――「わらしべ長者になるといいな」――
「……いやいや、そんなうまい事にはならない……」
自分の中に、湧き出ようとした何かを打ち消すように康平は呟いていた。
腰を上げて、カバンの中に貰ったそれをしまいこみ、ロッカーを開けた。
 夜、勉強の合間に食べようと思いながら、ゆっくりと部活の準備を始める。



「あ、笠井君」
聞き覚えのある声に呼び止められ足を止めて振り向いた。
女子テニス部2年の相田だった。
「瀧野ちゃん、来てた?」
「あ、いえ、今日はまだ見かけてないです」
「そっか。……」
そう言って口を閉じた相田を見ても、その場から離れられる雰囲気ではなく、康平は去ってよいものかどうか分からなかった。
表情を見るに何か言いたそうだった。
大人しくじっとしていると、相田が顔を上げて話し出した。
「笠井君は瀧野ちゃんと仲いい?」
「……まぁ普通、だと思います」
「そう。笠井君から見て最近の様子ってどんな感じかな?」
「様子……」
頭に浮かんだ、今までの様々な様子。だが、そのままそっと心の奥に仕舞った。
「いつも真面目に練習に出て、特に変わらず」
「そう、だよね。特に何か変わった、っていう訳でもないんだけど」
「……はい」
それは同意見です、と心の中で呟きながら、ちろっと相田を見た。
浮かない表情が気にはかかるが、余計な何かを言えるはずも無い。
 この空気に気まずくなってきた時、相田の後方に瀧野の姿が見えたのに気付いた。
それに、ぎくり、とする気持ちと、少しほっとする気持ちが同時に湧いた。
相田の姿を目にした瀧野が足を止めて声を出した。
「佳世さん?」
窺うようなトーンに、相田ははっと振り返った。
「あ、……」
少し躊躇いの色が混じった声に、康平は言葉を放っていた。
「先輩、今来たみたいです、瀧野。良かったですね、じゃ」
笑顔で言い切ると、それにつられるように相田は微笑して言う。
「笠井君、ありがとう」
「いえ」
笑顔のままそう返事をして、康平は部室へと向かった。
形容しがたい緊張の音が体中に響いていたが。

……それでも、思ってしまう。さっきの微笑んだ相田を見て、この人は美人だな、と。
そんな彼女を横にして歩く瀧野の顔が最初の頃ほど明るいものではない事に康平は気付いていた。
最初の頃に、鼻の下が伸びていた、とか、美人な彼女で自慢げに……、という様子も無かったが。

 ―― それって、どうなんだろう……? ――


部室に入り、一人なのを確認すると、康平は声を漏らした。
「あー、凄いタイミングだったな。ちょっと焦った……」
 それから、康平が思っていたよりも短い時間で瀧野が部室に来た。
「え?」
思わず出してしまった声に、瀧野は顔を少し傾けて訊いた。
「何?」
「あ、いや、もっとゆっくりしてくるものかと……」
「……最近は、寒いからこんな感じだよ」
「ああ、ほんとに寒いもんな。家出るときとか思わず独り言で寒いとか言ってたよ、俺」
心臓が音をたてているのを隠すようにそう言った康平。
「ああ、意思に関わらず勝手に出るよなー。たまにそれで弟に余計な一言言われてヤキいれてやろうとか思うんだけどさ」
「へー。弟もいるんだ。3兄弟?」
「そう。たまに一人っ子とか羨ましく思うけどな」
「まぁ、それは俺も同じだよ。一人っ子だから兄弟いたらどんな感じだろーとか」
「そう、だよなぁ。まぁ結局は自分の環境しか分からないからなぁ」
「うん。まぁ、一人っ子は一人が当たり前だから、兄弟いるやつの方が社会性あるよな」
「そんな事は無いだろー。兄弟いるやつでも暴君みたいなのはいるし、一人っ子でも気遣い屋なのもいるし」
「そうかー。家で大人しい分、外で弁慶なのもいるもんな」
「そうそう」
 そんな風に話しているところへ、勢いよくドアが開かれた。
「おーっす。おーさむさむ」
中に入ってすぐストーブにあたりに行く谷折。
 そんな谷折に挨拶を返し、瀧野はにやっとした顔で康平に聞く。
「じゃあ、コレはどのパターンだと思う?」
「うーん、家では意外と大人しい一人っ子?」
「俺は、下で可愛がられてるタイプ」
「うーむ」
「なぁ、谷折。兄弟いる?」
「んあ?ねーちゃんいるよ。きっついの」
「あー、なるほどー」
思わずそう言った康平に、瀧野は吹き出していた。
「え?何?なんなのよ」
「えー、いやー」
口ごもる康平に代わって瀧野が返答する。
「兄弟のタイプを丁度話していたから、聞いてみたんだよ」
「へー?」
そう声を出しながら、疑いの目を向ける谷折だった。



 今日の練習が終わり、部室で帰る準備をしている時間。
備品を片付け終えた康平が部室に入ると、大方の部員は颯爽とバッグを肩にかけている様子だった。
出て行く部員と挨拶を交わしつつ、自分のロッカーの前に立つ。
そんな中、椅子に座った瀧野が、ぼんやりとしてるのが視界に映った。
特に疲れた様子でもないのに、遠くを見つめている。
それに少し違和感を抱きつつ、康平は帰る用意をした。
 あとはこのショルダーを肩にかければ部室を出るだけ。になった康平は、そっと瀧野を見た。最初に見たときと変わらない様子。それに声をかけた。
「瀧野、帰んないの?」
「え?あ?」
声をかけられたことに気づいた瀧野は何かを思い出した様子で時計を見ると急いだ様子で立ち上がった。
「悪い、じゃあなー」
そう言葉を放ちながら、早足で瀧野は行ってしまった。
今まで見た中ではらしくない様子。
康平は訝しげな視線を、もう見えなくなっている後ろ姿に送っている。
頭に浮かぶ疑問符に康平は何とも言えない表情になっていた。

 その後、自転車置き場に向かう途中で、相田と一緒に居る瀧野を見て、急いだ様子に理由が分かった。
――一つ分かったら、又浮かぶ疑問に康平は気付く。
  けれど、それを言葉にはせず呑みこんだ。
その不快感を解消させるかのように、今日貰ったクッキーを思い出しペダルを漕ぐ足に力を入れた。


 康平はソファの上で胡坐をかき、腕を組んで「うーん」と唸っていた。
ガラステーブルの上には、今日和花から貰ったクッキーがぽつんと置いてある。
「よし、紅茶にしよう」
決めた声を出した康平は立ち上がりキッチンへと向かう。
ティーパックを出して電気ポットに手を伸ばす。
 紅茶をマグカップに注いでソファへと戻る。
康平にしては、一人うきうきとした様子でクッキーの袋を開け一つを口に運んだ。
「うまい」
あの時食べたのと同じ味。口の中に広がるような優しい甘い味。
既製品とは又違う美味しい味に、康平は遠くを見つめるような物憂げな微笑を浮かべていた……。



2010.3.19

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