時の雫-風に乗って君に届けば

§7 二人の隙間に潜むもの


Episode 1 /6




昼間はまだ暑さを感じるが、朝はすっかり空気が冷たく感じるようになった。
空も少し前までより高く感じる。
前庭に立ち並んでいる木々たちもはらはらと葉っぱを落としていた。
季節は秋を迎えていた。


 秋晴れの中、学園祭1日目が始まろうとしていた。
 朝一で朝礼が行われ、学園祭の開会が宣言させると、それぞれが催し物の準備に取り掛かっていた。そんな中、実行委員は体育館に集まり、最終打ち合わせが始まるのを待っていた。

 いつもなら、集合の10分前に姿を見せている美音は、この日はまだ教室にいた。
なるべく動かないように椅子に座りながら、表情は焦っているように見えた。
「あのー、もうそろそろ限界なんですけど……」
遠慮しがちに言うと、後ろで美音の髪をスタイリングしているクラスメートが口を開く。
「もうちょっと待って」

そんな様子をクラスメート達は眺めていた。
 また、そのクラスメート達もクラスの出し物で、普段と違った装いをその身に纏っている。
 そして、今日の美音は、いつも適当な前髪の流れも、今日はきっちりとブローされ斜めに流されていた。
ミディアムロングの髪は左側の耳の後ろに向かってねじり合わされ、毛束を一つにまとめ毛先を丸めてピンで留められてリボンが結び付けられていた。
耳前の髪は少し残され所々のほつれもバランスよく雰囲気に甘味を引き出さられている。そしてピンクがメインカラーのメイクを施されていた。
瞼全体にピンクベージュのアイシャドウ眉下はハイライトで明るく見せ、唇は美しく健康な色に見せる透明感のあるベージュピンクのグロスが塗られている。

「よーし、出来たー」
美音の後ろでそう声が飛ぶと、眺めていたクラスメートから拍手があがった。
「わー可愛いー」
「すごーい、春日ちゃん、よく似合ってるよ」
美音をスタイリングした生徒が満足したように声を放った。
「フェイスラインに後れ毛を残したロマンチックイメージのヘアスタイルにピンクのメイクで甘く仕上げてみました」
周りから歓声と拍手が上がり、美音は訳が分かっていない顔で辺りを唖然と見回していた。
 そして一人から鏡を渡されて覗き込むと、そこには普段の自分とは思えないほどの可愛らしいというお世辞が言える位になった女の子の顔が映し出されていた。
「う、わー!すごーい!これなら将来スタイリスト間違いなしだよー」
「ふふーん、もうこれでどんな男も落とせるよ。春日ちゃん今日明日と頑張って働いてねー」
「……、はーい。がんばりっまーす」

美音のクラスは喫茶をするのだが、ウエイトレスの女子生徒は全員がその子に合った格好をスタイリングされている。可愛らしい格好の子もいれば、お姉様風の子もいる。
 そして、その喫茶のメインは、お茶と一緒に出されるクッキーの中に、当たりの紙が入っていたお客は叶えて欲しい望みを言う事が出来る。
それを叶えて貰うには、クッキーを最初運んだ人からの条件をクリアする事。

「じゃあ春日ちゃん、帰りはこの格好でこの旗を持って校内一周して宣伝してきてね」
「はーい」

動くことをやっと許されて、美音はカバンの中から役員用の学園祭のしおりを取り出して「あっ」と声を漏らした。
「あちゃー、亮太の分まで持ってた……」
きっと、不機嫌な顔をしているだろう。
早く体育館に向かわなくては、と美音は教室を後にした。


 普段身につけない服装のせいもあってか、歩きながら違和感を感じていた。
一歩足を進めるたびに、柔らかい布に色のスカートがふわりと揺れ、心許無い。
上の服も、肩と袖口、腰の辺りにリボンがついていて鎖骨が見えるくらいにあいている襟口は、レースであしらわれている。

 ―なんて少女趣味な服だろう……―

美音が通っていく姿を、目にする人の殆どが注視していた。

 ―なんか、すごく注目を浴びている、ような気がする……―

自分の姿に自信を持てぬまま、美音は体育館を目指して歩いていた。

 ―ああ悲しきかな、生徒会で忙しくて、クラスの事は任せっきりだったツケが当日にくるとは……―

生徒会の仕事に追われていた美音は、クラスの準備に参加できない代わりに、学園祭2日間空いている時間はクラスの出し物に費やすと約束していた。
だから、当日のウエイトレスの服装も全て任せていたのだ。
スタイリスト担当のクラスメイトに。

 ―せめて、服は自分で選べば良かった……―

と後悔の念に捕らわれている間に、目的の場所へと辿り着いた。

 そろり、と体育館の扉に身を隠してながら顔だけを覗き込ませた。

それぞれ分担の確認作業を行っているようで、全員揃えての打ち合わせはまだ終えていないようだった。
 そして、同じ2年の委員と何か話している圭史の姿を見て、美音は顔を引っ込ませた。
何故か中に入っていく勇気が出ず、息を吐くと自分の格好に目を向けた。

 ―あぁあ〜反応が怖い……、亮太とかに、又変な事言われるんだろうなー。でも、行かなくちゃ、なぁ―

諦めたように天井を見上げると、後ろの出入り口から足音を立てぬように入っていき、大道具の陰に隠れるようにして薫がいる所へ向かっていた。

そのまま、薫の横に辿り着くはずだった。

「姿が見えないと思ったら」
突然横から降り注がれた圭史の声に美音は驚きの声を上げた。
「ひゃっ……」
圭史は大道具に片肘を当てて美音を見つめている。

まるで最初から気付いていたような圭史の様子に、まるでいじけた子供のような表情をするとそのまま俯いた。そして、手にしていたしおりを丸め両手で持つと、じっ…、と上目遣いで圭史を見つめた。

「なに?」
至って優しい口調で圭史は言った。

けれど美音は自信なさそうに声を出す。
「あ、うん。ちょっとこの格好させれるのに時間かかっちゃって。でも、すんごい違和感を感じるよね……」

「なんで?」

「……、格好、ガラじゃないなぁ、と、……」

そんな美音を見て、圭史は一瞬動きを忘れたような表情をしていた。
だが、すぐ、優しげな眼差しを向けて穏やかな声で言葉を紡いだ。
「そんな事無いよ。普段もそういう格好したら良いのに」

「ううん、こんなの学祭の衣装で強制じゃなきゃ絶対しない」
小さくふるふると顔を横に振り、圭史にそう言った。

「うーん、それはそれで勿体無いけど、他の奴に群がられるよりはいいか」

にこりと笑顔で言われた台詞に、内容を把握できていない様子の美音は、手にしているしおりを尚更丸めて俯きながら口を開いた。
「あの、ホントに、変じゃない……?」
「うん全然。……横で見せて歩きたいくらい。だから空いてる時間一緒に回る?」

圭史の優しい言葉に、美音は嬉しそうな―それでいて恥かしそうな―笑顔を向けると、尚笑顔になって口を開いた。
「えへへ、なんか自信でた。……ありがと。あ、そうだ。お礼にこれ上げる」
そう言って手渡したのは、美音のクラスのお茶のタダ券。
「良かったら来てね。今日は殆どクラスのほうにいるから、来てくれたら挨拶しに行くね。……あ、これ亮太に返さないと。じゃあね」
と口すると、生徒会役員が集まっている所に行ってしまった。

 その場を離れた後、圭史がガクッとうな垂れた事を美音は知らない。
圭史は軽くため息をついてから、諦めたように頭をかくと「まぁ、いいか」と呟いて2年委員達がいる所へと戻っていった。


「亮太ごめーん、これ間違って一緒に持って帰ってた」
手にしているしおりを差し出しながら亮太に言った。
「おー、それ……」
と言葉を口にしたところで、美音の姿を目にして続きは出なくなった。
動きを止めたまま、自分を見ている亮太に、美音は怪訝そうに聞く。
「……なに?」
「……いや、馬子にも。いや、なんでもない」
言おうとした言葉を、彼にしては珍しく途中で止めてスイッと目を反らした。
「……なによ」
不機嫌な声で美音が言うと、大きくため息をついてから亮太は言う。
「……今日明日とクラスの方優先だろ?何かあったら呼びに行くから、もう戻っとけよ。服汚れたらやばいだろ」
「うーん、それじゃお言葉に甘えて、後宜しくね。午後の当番終わったら生徒会室に一度足運ぶからー」
「おー、色々と気をつけろよー」

笑顔でそれに手を振ったものの、美音は体育館を後にしながら首を傾げた。
「……色々と、頑張れよ、じゃないの?」

 体育館では、亮太が参ったように自分のしおりを隠すようにして顔に当てがった。
「あー……、くそ。調子狂った……。誰だよ、あれを企画したやつ」
そんな亮太の背後にいつの間にか立っていた薫は手に持っていたしおりを筒状に持ち直すと、勢いよく亮太の後頭部に叩きつけた。
ぱしーん!とよい音がしたかと思うと、痛みで数秒の間、悶絶した亮太だ。
「いってー、何だよ急に」
痛さで歪んだ顔を向けて言うと、薫はにこり笑顔で返した。
「あぁ、ごめんね。なんか邪な気配を感じたような気がしたから」
「な、何がだよ……」
うろたえを見せる亮太に、薫は笑顔を崩さず言う。
「さぁ、何かしら」
「お前、性格悪いぞ」
亮太のその台詞に、薫はもう一度しおりを叩きつけてやった。



 美音は言われた通り、手に宣伝の書かれた旗を持って校内を歩いていた。
通り過ぎる人がこの旗にも目を止めていた。
そして一周した所で満足な表情を浮かべて、クラスへと戻る道に歩を進め始めた。

「あれー、春日さん凄くめかし込んだ格好してるねー」
そう笑顔で話し掛けられて、美音は足を止めた。声の主を見上げると、谷折だった。
「うん。クラスのウエイトレスの服なんだ。他の子も可愛い格好なので是非来て下さいませ」
「へー。……どうせならさ、その可愛い姿で俺とデートしようよ」
冗談とも取れる笑顔で言われた美音は動じる事無く口を開く。
「そういう冗談は他所行って他の子に言って下さい」
「えー?結構本気なんだけど?」
その台詞を聞いて、美音の顔からすっと笑顔が消え、視線を外して言った。
「谷折君と2人で歩いてたら、私ファンクラブの子に逆恨みされちゃうから」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟じゃないんだろ?」
苦笑いして言った谷折に、丁度通りかかった圭史が声を放った。
突然の声に、美音は驚いた様子で顔を見上げた。
谷折は「うっ……」と言葉を詰まらせて表情を歪ませている。
「だから、夏休みに折角」
と圭史が口にしたところで、谷折は必死な形相でそれを遮った。
「おおーい!人の傷を蒸し返すなー」

そんな反応に圭史は呆れたようにため息をついて、谷折を横目でちらりと見た。
「で、そのキズが癒えないうちに何してんだ?」
「いや、……春日さん、うちのこの怖い副部長あげる。思う存分使ってやって」
そんな二人を見ているのが楽しくて、美音は笑顔で言う。
「ははは、委員会で充分働いてもらってるから、いらないよ」
「……俺は物ですか」

そんな圭史を放っておいて、谷折は笑顔で口を開いた。
「あ、そうだ、良かったらテニス部の方にも来てね。今年はコート開放していて、部員と対戦も受け付けてるし、初心者には手取り足取り教えますので。ボード当てもあります。はい」
「へー。きっと谷折君と瀧野くんが教えてくれるんなら、目当ての子がわんさか行くねー」
何も気にした風でなく美音は笑顔で言った。
「そうかなぁ」
「うん、うちのクラスでも競争率激しい二人だから。もてる人は大変だよね」
にこりん、と笑顔で言った。
「……いやぁ、それは春日さんの方でしょ」
谷折の言葉に美音は即座に否定をした。
「えー?私そんな事ないない。可愛い子周りにいっぱいいるし。
あ、もう当番の時間だからもう行くね。バイバーイ」
笑顔で手を振って早々に行ってしまった。

「うわー……、自覚無いんだなぁー」
呟くように言った谷折の横で、圭史は額に手を当てて深くため息を吐いていた。
「亮太の言ってたとおりだなぁ」
谷折のその台詞に、圭史は顔を向けた。
「何が?」
「え?あの自覚の無さ」
「そんで?何て?」
「えーと、いつだったか俺が春日さんの事いいなぁっていう話をした時に、やめとけって言われてさ」
初めて聞く内容に、圭史は横目で見ながら言葉を漏らす。
「ふぅーん?」
そんな圭史の様子を気にもせず、谷折は言葉を続ける。
「なんか自分の事に関してだけは、超疎い、んだってさ。瀧野、知ってた?」
「……知ってる」
「なぁんだ。亮太の奴が、春日さんの事知ってる瀧野でも、あのニブさは一級品だと言うことはまだ知らなくて、知ってるのは俺ぐらいだって言ってたんだけどな」
「ふーーん」
尚更無愛想な口調になっているにもかかわらず、谷折は全く気にせず言う。
「そんな風に見えないからタチ悪いんだって」
「……知ってる。で、他には?」
「いや、それだけ。……で、なんで瀧野が春日さんの事よく知ってる事になんの?」
何も分かっていない谷折の表情に、圭史は仏頂面のまま答えた。
「同じ中学で、今委員会で身近だからだろ」
「ふうん?」
イマイチ納得していない様子の谷折を見て、圭史はチロリと目を向けながら口を開いた。
「で、傷が癒えていないお前が、春日の事いいなぁって?」
「そーなのよ、あの子の笑顔って可愛いよなー。お前んとこのクラスメイトが騒いでいるのが分かった。頑張ろうかしらって言ったら、亮太にはやめとけって言われたけど。瀧野どう思う?」
「……俺は何とも」
「なんだよ、お前愛想悪いなぁ。ホントに女の話になると面白くなさそうな顔して」
谷折のその台詞に、圭史は横目をチロリと向けてから静けさを不気味に纏ったまま口を開いた。
「というか、全く相手にされてないだろ?……それに、春日は伊沢と仲いいぞ」
「うっ……」
胸が痛いというように手を当てて、谷折は口を噤んだ。
圭史は、谷折が沈んだのを見て清々したような表情を浮かべてから言葉を放った。
「忘れようとするのは勝手だけど、それに誰かを利用しようとするなよ」
谷折は尚辛い表情を浮かべてふらふらと歩いていった。
その後ろ姿を目にしながら、圭史は呟いた。
「まだ未練タラタラの癖に……」



 そしてお昼を過ぎた頃には、2年1組のコスプレ喫茶は大繁盛を迎えていた。
圭史の耳にも、どの女の子たちも可愛かった、とか、生徒会の春日さんが物凄く可愛かった、というような事を話している男共の声が届いてた。

何とも言えない気持ちで圭史は淡々と担当の仕事をこなしていた。

そして、空き時間になり、圭史は少々悩んだのだが、友人たちに声をかけていた。
「タダ券もらってるんだけど行かない?」
「なんの?」
「喫茶のお茶がタダみたい」
「えー?別にそんなの行かなくてもいーじゃん」
「あ、そう。じゃあ実行委員の奴でも誘ってみるわ。2−1喫茶だけど」
「え?!前言撤回!」

かくして圭史たちは美音のクラスへと向かうことになった。
 彼らの期待をよそにテーブルの注文を受けに来たのは他の子だった。
「クジつきクッキーは人数分注文でいいですか?」
「え?何それ?」
「クッキーの中に当たりの紙が入っていたら、願い事叶えて貰えるチャンスが与えられます」
「はい、それ人数分!」
すごい勢いで内藤が言うと、その女の子はそれに圧されながらも頷き伝票に書きとめた。
そうしている間に池田がその子に訪ねる。
「春日さんはー?」
「ああ、うんいるよ」
そういうとその子は奥へと引っ込んでいった。
「あ、いた春日さん」
他所のテーブルに飲み物を運んでいる美音の姿を内藤が見つけた。
圭史の友人たちは締りのない顔でその様子を見ている。
「かわいー……」
圭史は頬杖をつきながら彼らを一瞥してから、美音に目を向けた。

 いつもと違う雰囲気の彼女を一体何人もの奴らが目を奪われていくのだろう。

圭史はため息をこぼした。

 注文したものが運ばれて暫く経った頃、彼らの前に美音がやってきた。
「来てくれたんだー。ありがとう」
笑顔で言う美音に圭史は笑顔で返した。
そして彼らが口を開くより先に美音が訪ねていた。
「クッキークジどうだった?」
ちょうど口にくわえている内藤が、慌てて喉に流し込んだところで口を開いた。
「何も入ってないよ」
「あ、それ外れ。残念」
美音が笑顔で言うと池田が聞いた。
「ほんとに当たりなんて入ってんの?」
「あるよー」
その横で内藤が聞く。
「瀧野のは?」
「どうやら外れみたい」
「ほんとに当たりなんてあるのー?」
と言いながら池田がもう一口口に入れたところで、美音が笑顔で言った。
「あ、それ当たりー。赤い紙入ってるの。おめでとーございます」
「え?やったー」
実物を見て、万歳をして喜んだ池田だ。
「何かありますかー?」
「えぇと、えぇと、な、なんでもいいの?」
期待を目に宿している池田に、横で圭史は冷めた顔でジュースを飲んでいる。
「言うのはただでーす。それに対してこちらが言った条件をクリアしてもらえれば叶えます」
「……じゃあ、今一緒にここでお茶してください」
無難なお願い事に変えたらしい池田の様子。
「ああ、それくらいだったら、あと一品何か頼んでくれたら」
「はい、ジュースおかわり」
美音の台詞に池田は意気揚揚として言ったのだった。
「はーい、まいどありがとーございまーす」
そういうと美音は奥へ一旦戻っていった。

一人にこーとしている池田を横目で見て、圭史はポツリと呟いた。
「一緒に回るとかあったのに」
それを耳にした池田のはっとした顔は、見ていて面白かったと後に内藤は語る。

 池田のジュースを持ってきた美音は空いている椅子にちょこんと座った。
「もし嫌な願い事言われて、条件クリアされちゃったらどうするの?」
「うーん、願い事言われた時点で、クリア出来なさそうな条件を言うくらいの事は出来るから問題ないでしょう。多分」

10分ほどの時間をこうしてお喋りをして過ごし、池田の願い事はクリアされた。