時の雫-之紀 栞1

Chapter1 珍しい出来事


§3 Episode2

今日もいつもと変わらない。
毎日同じ通学路を通り、見慣れた校門を通り、そして下駄箱に到着。
 所定位置に向かう途中、同じ部活の女子を発見。
彼女はもう上履きに履き替えて教室へと向かうようだった。
言葉を交わすのに相当な距離になったとき、俺は笑顔で声をかけた。
「おはよう」
すると、彼女はいつも可愛い仕草で見上げて、可愛い笑顔で返してくれる。
「おはよ。最近よく一緒になるね」

ええ、ちょっと狙っているんです。一度でも多く顔を見られるように。
 ああ、今日も可愛い……

朝のちょっとした潤いのひと時。これがあるだけで一日良い日で過ごせそうな気がする。
じゃあ、また部活でね、と言って、彼女は教室へと向かっていった。
クラスは隣なので、姿を目にする機会は多いほうだろう。
これが端と端のクラスならそれも適わなかっただろうけど。

1年の時、部活で姿を見つけて初めて声を交した時から、可愛いと密かに思っておりました。淡い恋心を抱いて今日に至ります。

 教室に1人で向かう間に、途中何人もの女子に声をかけられながら、それに愛想よく返していく俺。声をかけやすいのか、親しみやすい性質なのか、いつも女子には何かと話しかけられる。

……じっくり話したい子とは、中々そうできず……
 まぁ彼女は、そんな馴れ馴れしく話してくるような子じゃないけど。
どちらかというと、気遣い屋さんだから、部活中に顔を合わすことがあっても無駄話をしてきたりとかはないもんね。いい子なんだー。


 教室に向かっている途中で、学校の中で知らない人はもぐりだろうと言うくらい有名な人と一緒になった。
この人には、さすがに声はかけられません。

生徒会副会長、春日美音さん。
仕事に関しても、「やり手」だとクラスメイトの亮太が言っていた。
敵に回したくないタイプだとも言っていた。
クラスの男共から春日さんの話を振られることがあるので、亮太はいつもそれに本気なんだか冗談なんだか判らない口調で生徒会の事を話している。
その話の内容を聞いたら、きっと春日さんは怒るだろう話を。

俺からしたら、一度も話したことの無い春日さんは、近寄りがたい雰囲気を持っている。何かこう寄せ付けない空気というのか、あの顔で睨まれでもしたら、本当怖いだろうなぁとか思うんだが。
ほかの奴は、それより先に、あの容姿に目がいくらしい。
まぁ、外見も本当よろしくて、黙っているともう美人と可愛いの間くらいの器量で、憧れる奴も数知れず。
確か、瀧野のクラスの友達たちが、すごいという話を聞いている。
何が「すごい」のかって?今時、こういう単語を使うやつはいないだろうけど、例えて言うなら、隠れ親衛隊みたいな……。

瀧野というのは、同じ部活の奴で、気の合ういい奴。
こいつも、陰で女子の人気を集めているんだよな。
言うほど、優しい奴でもないのに、何故もてるんだろう?
まぁ、外見だけは十分優しいようには見える。けど、そんなに愛想、良くないぞ?
まぁ、危害を与えず、傍によって来る無害で気の良い子には、まぁ多少なりとも笑顔を見せることはあるけど。まぁ、笑顔はあいつの武器だからなぁ。

それに騙されたのが、きっと1コ上のテニス部の相田先輩なんだろうな。
俺らが1年の時、二人は付き合っていたらしい。笠井が話していたのを覚えている。
で、気がつきゃ、二人が一緒にいるのを目にすることは無くなっていたので、きっと別れたんだろう。何が原因なのかまでは知らないけど。
 うーん、きっと、あのルックスに、人がよさそうに見える顔と、まぁ試合に出ると結構上位に入ってるし、テストとかランキングされているし、委員会でも有能に働いているらしいからだろう。そして大体のことを卒無くこなすように見せている奴だから、もてるのかな。
……付け加えて言っておくと、あいつが地道に努力をしていることはちゃんと俺は知っているが。





 朝には青空が広がっていたのに、午後になると空は雨模様。
今朝の天気予報は当たったらしく、授業が終わる頃には雨は降り注いでいた。
 あー、雨はいやだなぁ。
こういう日は体育館横の廊下とかで筋トレとかになったりするんだよなぁ。
とか思っていたら、6時間目は1組で授業をしていたらしいテニス部の顧問と廊下でばったり会い、無情に言い渡された。
「今日は雨でコート使えないから、体育館前に集合な」
ああ〜、やっぱ筋トレですか……。

 今週掃除当番の俺は、真面目に掃除をして、体育館に向かうついでに隣のクラスに顔を覗かせた。

 お、いたいた。やっぱりあいつも今週は掃除当番だったか。
名前の一文字目が同じ「た」だから、クラスは違えど番号も近いからそうじゃないかと思ったんだ。
「瀧野―」
俺が名前を呼ぶと、瀧野は顔を向けて言った。
「おー?ちょっと待って。今行く準備してるから」
待てと言われたら待ちましょう。
教室の中は殆ど生徒がいない。なので、気軽に瀧野の席まで向かった。

 あれ、そう言えば、体育祭がもうすぐあったんじゃなかったか?
瀧野は実行委員だから、行事前になると忙しいはず。

「今日は筋トレに変更だって。委員会は?」
俺の問いに、瀧野は机の中の教科書やらをしまいながら口を開いた。
「今日は無し。明日あるけど打ち合わせだけで、来週から本格的始動」
そして荷物を全て入れ終えたようで、ショルダーを肩にかけたのを見て歩き出した。
俺は歩きながら感心したように言った。
「よぉやるなぁ。俺には真似できねぇよ」
「というか、やらなきゃいけないからなぁ」
なんと淡々とした言葉でしょうか。
それでも、大概の奴は根を上げると思うけどなぁ。
こいつは何でここまでやれるんだろう。すげーやつ。



体育館に向かって歩いていたら、下駄箱を出たところで女子が一人困った様子で立っているのを見かけた。

あれは、我が校の副会長様ではございませんか。
……ある意味、会長よりも有名なのよね。春日さんて。

 きっと、傘忘れて困っているんだろうなぁ、なんてぼんやり思っていたら、隣のいる瀧野がバッグの中に手を入れてごそごそしている。
それに気がついて顔を向けた頃には、もう春日さんに向かって歩き出していた。
 おお、動きが早い。
丁度、この雨の中に足を向けようとしている寸でのところで、瀧野は手にした折りたたみ傘を差し出していた。
「これ使って」
瀧野らしい簡潔な台詞。
春日さんにしては突然のことだったようで、茫然としたまま手のひらを戸惑いながら出していた。
春日さんのその手に傘を預けると、瀧野は用は済んだと言わんばかりに俺の所へ戻ってくる。
その後方に、何か言いたげな春日さんの顔が見えた。
すぐにこっちに向かってくる瀧野の体で隠れて見えなくなったけど。

春日さんに傘なんか貸して、後で彼らに睨まれたりしないか?
あと、自分はどうすんだよ。駅までは同じだからいれてやるけど、問題はその後だよ。
夜にはひどい降りになると天気予報でいってたぞ。

そして、たまらず俺は訊いていた。
「いーのかよ?」
だけど、俺の心配をよそに瀧野は平然と答えた。
「部室に置き傘あるから」

そーですか。
質問の意はそれだけではなかったんですけどね。
本人が気にしていないのなら良いのでしょう。きっと。

現に瀧野は、あの春日さんに傘を貸したというのに、何でもない顔をしている。
こういうところは瀧野らしいけど、あんなふうに自発的に人の為に動くのは珍しくないか?こんな瀧野、今まで見たことあったっけかなぁ?
 ちらっと瀧野を盗み見たけど、なんとなく聞きにくい雰囲気。
余計なことは聞くな、って顔に書いてある感じ。
 まぁ、クラスの奴らが春日さんのことを聞いてくるのは、正直腹が立つ、様な事を前に言っていたしな。余計な事は聞かないでおこうか。変に機嫌悪くさせるのも嫌だしさ。
聞けそうな時でもあったら、その時にしよう……。



 今日の部活は男女とも筋トレ。余計なことを言う気力もない……。
俺の方に聞けそうな時がないよ。
 ようやっと休憩をもらえて、壁にもたれて座り込んだ。

だけど不思議なもんで、こういう時の10分ってやけに短く感じるんだよな。
あっという間に練習再開で、非難の声を上げたい気持ちをぐっと堪えて立ち上がった。

そういうしんどい時、視界の片隅で彼女の存在を確認する。

彼女は大きく深呼吸をしてさぁトレーニング頑張るぞっていう表情をしている。
そんな姿を見て、俺はやる気を起こすんだ。俺も頑張ろうって。
そして、男として情けない姿は見られないようにって。

でもね、ほんとね、可愛いんすよ。もうそれだけで、やる気出ちゃうよ。

 そんな事を思いながら後半の筋トレにも精を出し、この日の部活が終わる頃にはくたくたになっていた。しまった、調子に乗って頑張りすぎた。

 いつものコート整備は当番制なのだが、今日はその中の一人がここをモップで掃除。
「あ、おれしとくよ」
何気なく言うと、他の当番の奴は笑顔で礼を言ってさっさと行ってしまった。

「ふふ〜ん♪」
鼻歌を歌いながらモップを廊下にかけていく。そして、女子の方に声をかけるのだ。
「こっちの方は終わったよ。あとどこ?」
すると笑顔で返事が返ってくる。
「あとそこだけなんだ」
「OKまかして」
「うん、お願いします」
俺は機嫌よくモップをかけていく。
 はい、女子の方の当番は、好きな子です。
彼女がモップを持ってきたのを目の端に捕らえてました。
こうやって一緒になれるだけで幸せな俺はあんぽんたんでしょうか?

日常の中でふとした偶然(?)が俺の心のオアシスになってる。

 幸せな時間、モトイ掃除が終わって下校するのに下駄箱に到着した頃には、他の奴の姿は見えない。皆、帰ったわけね?
 外は天気予報のとおり雨ざあざあ。
こういう時、傘をちゃんと持ってきていた自分を褒めてやりたくなるよね。
これが天気予報外れていて、傘がただの荷物になった時は、文句言いまくりなんだけど。

ふと前方に顔を向けたら、その雨の中に身を投じようとしている彼女の姿が目に入った。(今日はこの光景をよく見かける日だなぁ)
慌てて俺は声を出したよ。
「伊沢さんストーップ!」
その言葉に彼女はビタッと動きを止めた。
「……あ、谷折君」
様子を伺うように振り向いた彼女は俺の姿を見ると緊張を解いたようだった。
どうやら驚かしてしまったみたい。

「傘忘れたの?一緒にどうぞ」
俺はそう言いながら長傘のボタンを外して彼女に歩み寄っていった。
「……あ、うん、じゃあ、お邪魔します」
少し俯きながら言った彼女は可愛かった。
こういうところが他の女の子と違うところだよなぁ。
傘を開いてスイッと彼女に傾けると、今までにないくらいの近い距離で横に立った。

変に緊張してしまって、いつものように話せなかった。
会話が浮かんでこなくて、沈黙の時間がやたらとあったけど、今日は雨の音が気まずさを感じさせなかった。

 ……不思議だな。なんか心地良い。
この時間がずっと続けばいいのに、なんて、思ったりとかして……。

 彼女とは電車の方向は一緒で、先に彼女が降りるんだ。
その駅に電車が到着する前に、彼女に言った。
「この分だと俺が駅に着く頃には雨ももっと小雨になっているだろうから、この傘使って」
「え?……それでも谷折君が濡れちゃうよ。私はいいから。電車に濡れたまま乗らずに済んだだけでもありがたいから」
「いいんだよ、俺、頑丈だし」
そう言った所で駅に到着し扉が開いた。
彼女が降りなければいけない駅だ。
彼女は扉に目を向けると、少し躊躇った表情をして口を開いた。
「ここで降りるから。じゃ、また明日学校でね」
だけど、そう言った彼女に、俺は無理やり傘を手渡してから背中をそっと押した。
そして俺は言う。
「又明日ね」

背中を押されてホームに下りた彼女が振り返ったときには、扉が閉まろうとしているところで、彼女は傘を受け取った形になる。俺に返そうにももう無理だもん。
それを悟ったらしい彼女の表情は、すぐはっとしたものになって口を開いた。
「ありがとう!」
声がちゃんと届くように彼女はいつもより大きな声でそう言ってくれた。

俺は満足して笑顔を浮かべてた。俺の方を見つめながら、段々と小さくなっていく彼女の姿を目にしながら。
 そんな幸せな気持ちのまま、俺は電車に揺られていた。



 俺が駅に着いて表に出ると、雨はしっかり降っている。
うーん、仕方ないよね。
小降りになるの待っていたら何時になるか分からないから、走って帰ることにした。

 頭がしっかり濡れて帰宅すると、リビングで一人寛いでいた姉貴が姿を見せに来た。
「ゆきー」
 はい、俺の名前は「之紀」(ゆき)です。
音だけ聞いたら女みたいな名前……。
絶対身内以外の人間に下の名前で呼ばれたくない。そんな嫌な名前です。

で、わざわざ俺の所に来るって事はまた……

「ちょっと、……って、あんた傘持って行かなかったの?」
「あ、うん、……」

人に貸して濡れた、なんて言ったら、又何言われるか……

「そんな事より、お風呂の準備して。早くしてよ、出かけるんだから」

俺ずぶ濡れなんですけど?
 と言った所で「だから?」と怖い顔で言われるだけなんだろうけど。
可愛い弟がずぶ濡れで帰って来てもタオル一つ取ってくれないし、先に風呂に入ったら、という優しい言葉もないし。……こういう人だって分かってるけどさ。

こういう人に限って、男の前では豹変するんだろうね。
あーやだやだ。女って。
 だから俺ってば、未だに彼女の一人も出来ないんだろうなぁ。
ちょっと軽い女性不信。
クラスの女の子も間違いなく姉貴と同種で、どんなに気のある素振りを見せ付けられても心が揺らがない。裏が見えてしまう。見たくも無いものが、確実に見えてしまう。

 でも、あの子は違う。

「ちょっとまだ?!早くしてよ!」

いつもの姉貴のその言葉に、あの子の顔を思い浮かべていた俺は、思わず、にた〜という笑みを浮かべてしまった。
それに姉貴は退いて気持ち悪いものを見たと言わんばかりに1、2歩後ずさってからリビングに戻っていった。

 今日の帰りを思い出して、鼻歌交じりに風呂場を掃除していく俺だった。
風呂が準備できて、濡れたままだった頭をタオルで拭きながら、リビングにいる姉貴に声をかけた。
「風呂、できたよー」
至って普通の俺の顔を怪訝そうに見てから、姉貴は「ごくろう」とだけ言った。
いつもならそんな言葉も言わないのに、よっぽど俺の顔が気味悪かったみたい。

 服が濡れたままの俺の体は冷たさを感じて微かに震えだしていた。

あ、やば。
とりあえず着替えよう。
明日も元気に学校行って、あの子の顔を見るんだ。

 そうして俺は鼻歌を歌いつつ軽快に階段を駆け上っていった。
くしゃみをしつつ部屋に入った俺の耳に姉貴の声が聞こえてきた。

「ちょっとお母さーん?あの子なんか変よー?頭の中まで風引いたんじゃなーい?」

 余計なお世話です。そういう貴女は心にウィルス撒き散らしているくせに。





 翌日、下駄箱で珍しく瀧野と顔を合わせた。
「あ、おはよ」
「…はよ」
と瀧野が返したところで、俺達二人はほぼ同時にくしゃみをした。
「あー?風邪かぁ?」
俺が先にそう言うと、鼻に指を当てながら瀧野が言う。
「お前こそ。傘持ってたくせに水溜りに転びでもしたか?」
「転んでねーよ。……あれ?お前だって置き傘あるって言ってたろ?」
傘持ってたくせに、って、自分は持ってなかったような言い方だな。
ということに気付いて、そう言ったら、瀧野は顔をゆーっくりと反らしながら言葉を放った。
「……そうだったな」
「ん?もしかして」
「じゃ、俺先に教室に向かうから」
俺の台詞を無視して、瀧野は一人でさっさと行ってしまった。
なんだよ、冷たい奴だよなー。

 そして、貸した傘を返してもらって、笑顔でお礼を言われて、俺は素晴らしくHAPPYになった。
その他の事なんて、どこかへ飛んでいくくらいに。
 もっと幸せな出来事が起こることを願いながら、俺はまた今日も一日頑張るんだ。

2004.11.5


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